文化庁在外派遣研修制度 これから行く人のために

文化庁在外派遣員としてパリに滞在して早いもので半年以上が経とうとしています。今日は版画協会の総会だなあと思っていたところに、会報係の爲金さんから、これから在外研修を希望する後進のために簡単な経験談を踏まえた手順を書いて欲しいと依頼がありましたので、簡単ですが経験談として纏めてみました。しかし渡航する国によって大きな違いがありますので、あくまで個人の感想程度ということで参考にして頂きたいと思います。

1.決意にいたるまで(派遣国・受け入れ機関の選定)

この文化庁在外派遣員の制度で最初に難しいとされているのが、渡航先の受け入れ機関の決定であると、多くの経験者が言っています。それは、派遣員として合格するか分からない約9ヶ月前の出願時に、相手先の正式な受け入れ承諾書が文化庁への出願書類として必要になるのです。僕の場合は、2002年に文化庁国内研修員としての行った色彩版画の研修の展開として、一版多色刷りの工房であるパリのアトリエコントルポアンを選びましたが、受け入れに際しては多摩美術大学版画研究室在職中にディレクターのエクトール・ソニエ氏と面識を持つことが出来たことで、書面で今回の研修先として受け入れをお願いしました。しかしそう言ったことの無い場合は、自分で希望先に一年前に事前に赴いて調査をする必要があります。1年以上滞在する場合は、そうした各国の現地リサーチをしっかり行っていった方が、より充実した時間を過ごせるかもしれません。またこの工房に受け入れをお願いした理由の一つに、ヴィザ(滞在許可証)取得に認定されている工房であるという点も理由の一つにあります。パリには多くの芸術施設がありますが、国が正式に滞在許可証の申請を認めている施設はそう多くありません。多くの派遣員の方が大学などの正規の学校を選ぶのにはこうしたヴィザの発行に関わる書類の問題があると思います。3ヶ月以上滞在の場合、どんな形であれヴィザの取得が必要になります。このヴィザの取得は滞在してからの大きなハードルになりますので、このような点も受け入れ先の制定の考慮事項になると思います。しかし作家のキャリアによっては学生ヴィザでなくとも様々な形のヴィザで入国出来る場合もありますので、その辺りは各自のキャリアによって検討してください。そしてどうしてパリに行くのかと多くの方に聞かれますが、パリはヨーロッパの中心にあたりますので、さまざまな高水準の文化に触れることが出来るということが派遣国の決定の理由です。

2.条件整備:たとえば家族の説得・勤め仕事の整理・言葉の問題

たとえば家族の説得:説得といえば聞こえはいいのですが、この研修に際しては、もう10年も前から行きたいと、行きたいと、事あるごとに関係者のみなさまにお話していたので、関係者の方々には本当にその日が来たのですねって感じです。しかし現実的に決定すると1年間、これまでの生活に空白を作ることは大変なことだと感じています。家族の問題や仕事のことなど、自分に関係するすべての人の協力や尽力があって、この研修が可能になったと思います。僕の場合は3年前に結婚していますが、今回は妻子を置いてきているので、仕事を持っている妻には大変な負担になっていると思います。しかしこの研修に関しては結婚する前からの僕のたっての希望であり、その時点から双方の両親の承諾の上ということで来ています。本当は家族を連れてと、最後まで悩みしましたが、留学経験のある妻や恩師は一人で行くことを勧めてくれ、また当初2年間の留学を勧めてくれましたが、僕としては3ヶ月でも長いと思っているので、1年間として来ています。しかしこちらでの基盤が出来はじめると、やはり2年間にしておけばという思いが今は強くあります。残された子供や家族の生活は、幸い僕の両親や兄弟が健在なので、子供は家族で見てくれることで、この研修に対しての環境が整いました。説得という意味では長い時間をかけて出かける準備をしたということになりますが、家族の理解と援助あっての渡航になっていると思います。

仕事の整理:在外研修のネックの1つに常勤の人は応募しにくいということもあります。当然、現在の時勢で1年間も休職するということは考えられないのですが、僕は多摩美術大学生涯学習センターで、銅版画の指導をパートタイムとして勤めていましたので、講座の変わり目まで担当させて頂いて渡航して来ました。この件に関しても、関係者の方々には早い時期からご理解を頂きましが、帰国後の仕事についてのことは現在未定の状態です。そういった仕事については、また帰国後に1から始めることになるかもしれません。また作品の発表に関しては、渡航中の様子を見てということで、帰国後の展覧会の予定を調整しています。

言葉の問題:外国で暮らすということは語学の勉強が不可欠です。僕はこの研修のために約5年前から英語の勉強を始め、パリでは週に3回英語のレッスンを受けていますが、あまり上達しないので困っています。最近やっと何となく通じるようになってきてほっとしているくらいです。語学については日本の作家の多くの人が軽んじていますが、現実はその逆にあると思います。ヨーロッパでは多くの作家が3カ国語以上を話します。この現実は僕に世界を自由に闊歩するための差を現実的に突きつけたように思います。もちろん語学が出来なくとも生活は出来ますが、充実した研修や友人関係を作っていくには、英語の会話が出来ることが大切だと感じています。そう言っても語学が出来なくともオープンマインド性質の人はどんどん輪を広げて行けますが、残念なことに日本人の多くの人にはそういった感性を持ち合わせていないように思います。特に語学が出来ない男性はオープンな感覚のヨーロッパ社会において閉鎖的にみられて、相手にされないことが多いのです。アトリエでも多くの日本人は何を考えているのか分からないと良く言われています。

そんなこともあって、僕はフランス語を勉強しようと思っていましたが、結局やらずじまいです。今でも全く話すことも読むこともできません。それはある程度、パリでは英語が通じるからです。僕はこの短い時間の中で英語もフランス語もこなせるほど語学に自信はありません。幸い研修先でもディレクターの2人やアシスタントは英語が話すことが出来ますし、世界中から来ている友人達もみんな英語を話します。ですから、行き先にもよりますが、まず英語とその他の言語と学習しておくと随分広がりが出来るのではないかと思います。

3.文化庁への申し込み

毎年6月頃に配布される書類を文化庁のウェブサイトから用紙をダウンロードして出願書類を作成するわけですが、現在はPDFファイルに直接書き込みが出来るので、手書きよりはそちらの方がいいと思います。会報係の要望で具体的にとありましたので僕なりに見解を書きますが、申請内容は公的な資金を申請する訳ですから、理路整然とした理由や展開、結果が誰にでも分かりやすくある必要があると思います。この制度はあくまでも、なにかを習得するために行くわけであって観光や取材ではありません。そのことは募集要項に記載されていますので、そういった要領をすべてに簡潔に分かりやすい形で記載した、誤字脱字のない綺麗な書類が必要です。そして裏付けとなる明確なポートフォリオの作成が最低限のラインかと思います。ポートフォリオについては過去5年の作品や活動内容が明確に掴め、その上に研修内容及び結果がイメージ出来るものが問われるのではないかと思います。また添付書類には芸術上の師範の推薦書も必要です。書類が配布されてから提出まで2ヶ月ありませんので、このような書類をあらかじめ用意しておくことも大切な準備だと思います。前出の受け入れ書類もそうですが、この募集要項が配布されてからでは、すべての書類を整えることが大変難しいのです。その提出書類は美術家連盟の会員であれば、提出前に連盟の担当職員の方が書類のチェックをしてくれます。日時に余裕をもって一度提出前にチェックをして頂くのも良いかもしれません。

4.面接

一次審査を書類が通過すると面接があります。面接は文化庁でありますが、時間はとても短いものです。審査官が約10名いて書類を見ながら様々なことを聞かれました。「なぜパリに行く必要があるのか。」「日本でも普及している一版多色刷りのアトリエコントルポアンになぜ研修に行く必要があるのか。」「語学はどの程度話すことができるのか。」等いろいろですが、僕自身はそれぞれに明確な理由があるのでさほど困ることはありませんでした。面接時の服装は?と聞かれますが、僕はスーツにネクタイという格好です。合格した方の中には、本当にラフな普段着で来ていらっしゃった女性もいましたので合否には関係ないのかもしれません。ですが、公的な資金を頂く面接だということを踏まえると、世間並みの常識に合わせるのが当然だと思います。

5.出発まで(ヴィザ・航空券)

4月に合格発表があります。その後に任命式があって公的な書類が配布されます。基本的に往復航空券はJTBが一括して購入し用意してくれるので、費用の心配はありません。ただし、保険に関しては個人の負担になります。これが一年間で約20万円だったと思います。ヴィザに関しては各国の大使館に行って最初の手続きをしますが、この際にどの部類のヴィザで派遣国に入るのか決める必要があります。学生ヴィザの登録が可能な施設であれば、それが一番簡単ですが、その他の部類(研究者ヴィザ・アーティストヴィザなど)様々なヴィザがあります。研修先の形態によってその取得が変わって来ますので、早めに取得する必要があります。また文化庁の重要書類は英語で記載されていますので、各国の言語に合わせて、法定翻訳(その国が認めている翻訳家よる翻訳)を作らなければなりません。英語圏以外ではこの法定翻訳が非常に大切な文書になります。また渡航費用は出発一月前までに翌年3月までの費用が振り込まれます。費用は派遣先によってランク付けされており、概ね一日一万円程度が支給されます。

6.渡航後の話

文化庁研修員というと聞こえはいいのですが、すべて自身で行います。お金だけくれたと言うべきかもしれません。ですから渡航後はすべて自己責任でだれも助けてはくれません。知らない場所で、一人で生活の準備をするのは大変なことです。もし誰も知り合いがいないようなら、エージェントを雇って準備をするのがいいと思います。お金は掛かりますが、大夫時間や精神的な苦痛から解放されます。そのような情報は大都市であれば日本語新聞がありますのでそういうものに掲載されています。また地方出身者の場合は県人会があったりしますので、そのような所の協力をお願い出来る場合もあります。そうすることで、言葉が不自由でも最初の生活をスムーズに整えることが可能かもしれません。やはり同郷だとか、学校や協会などの共通点はこういうときに強いつながりを持つのかも知れないと改めて感じます。僕はこちらに来て大学の同窓生や版画協会の会員の方々にいろいろお世話になりましたし。

それと当然、現地では生活するための銀行口座を開設や、アパートの契約など様々な絵を描く以外の困難なことが待っています。僕は現地でエージェントを雇おうかどうかと散々迷った結果自分ですべてやりましたが、それだけに最初の三ヶ月間を大変な思いをして過ごすことになったように思います。しかしその経験の上に多くの友人が出来たように思います。そんな中でもっとも大変だったのは滞在許可証の申請です。現地で再度ヴィザの取得(滞在許可証)の取得の際は銀行の預金残高の証明書なども持っていると良いかもしれません。文化庁のブランドは日系社会でのみ通用します。外国人には通用しないのです。ですから身分や地位を証明する書類は沢山あった方がいいのです。フランスでは文化庁の正式な書類が英語で書かれているために、係員が書類を受け付けてくれず大変な思いをしました。この時に法定翻訳を持っていることと言葉が話せないと大変なのです。英語は聞いてくれませんし。

そして現地での費用ですが、支給された金額ですべてまかったという人もいれば全く足りないという人もいて様々です。金額のことは前に書きましたが、すべての金額を一気に頂ける訳ではありません。帰国後の領収書の提出はありませんが、かなり金銭的な計画を立てておかないと途中でお金が無くなったなんてことも充分にあります。今回各国に渡航している友人達は100万円から150万円位は余分に掛かるのではと渡航前に話していました。しかし実際はどうか終わってみないと分かりません。住居の問題に関してはアパートを借りるということもありますが、レジデンスなどの入居を申請するとかなりの予算の節約にもなります。そういったレジデンス情報はmixiにかなり詳細に書かれていますので、そういったものを参考にするのも良いかもしれません。まずは最初に「地球の歩き方・成功する留学」でも参考にしてみてください。

6.最後に

いろいろと書きましたが、合格後僕はパリ滞在に関して全く準備してきませんでした。申請することについては長い時間を費やして準備しましたが、滞在後のことは実は白紙で来たのです。僕は当初、滞在中から帰国後のことも含めてすべて綿密に決めて出かけるつもりでしたが妻が反対したのです。「留学はなにかを探しにいくのであって、最初から決まっていたら行く意味がない。」と、言うのです。僕はものすごく心配性なので、渡航前はあんなに心配して大丈夫かと、皆様から逆に心配されたほどですが、来てみると意外なことになにも決めて無くとも、言葉も話せ無くと、今は何不自由なく風邪の一つも引かずに元気にしています。まあ実際来てみると、心配もよそにこんなに楽しいことがあったのか。と、残り少ない滞在の時間を憂鬱に数えるばかりです。

社団法人 日本版画協会会報 2009.6 No144号掲載